芸能界の記事一覧

腰が痛い、ひじが痛いと相当ガタがきているって年のせい?

おはようございます、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。

腰が痛い、ひじが痛いと相当ガタがきているって年のせいかな?ってことで何とか自分を誤魔化しているんですけどね。

 
今朝も寝起きは、腰が痛くて目覚めました。

このところ毎日のように腰の痛さで目覚めています。

が、何年に一度か起き上がれない歩けないといったぎっくり腰とは違う症状なので、どの様に向き合っていいのか分かりません。

 

かといって医者に行くほどの勇気は持ち合わせていませんから。

まあ、気楽に気にしないようにしていくのがベターかもね。

 

いつもならGoogle先生に聞いてみるところなんですが、駄目ですね。

何か変なことが書いてあれば気にするほうなので、ここは我慢。

 

 

草加の時も同じような兆候があったけど、毎日仕事に行かなければという義務感がどことなく忘れさせてくれていました。

座ったままではコツコツ作業ができないというので、会議用折りたたみテーブルを会社から借りての椅子に座っての作業をしていた。
今の部屋に引っ越した時も、椅子での作業を一度は考えたけど狭いことを理由に無駄使いをしなかった。

若しかして、今の座ったままでの作業が原因かとも思ったけどこれも違うような気がするし、結局うやむやにしてします。

 

 

 
一方のひじは、昨年の11月以来ずっと続いている。

これは、警備士としての交通誘導の一つである片側交互通行の誘導をしていた時に、先輩である相手の未熟さにあきれたり車の運転手さんに早く行くように促すために誘導棒を目一杯に振っていたのが原因だと思ってる。
通常だと8時30分から17時30分までの勤務のところ、23時頃までやらされたのもある。

残業を5時間もつけたけど、日報にこの残業はないだろうと書いて日勤と夜勤の2日分を貰ったくらいの過酷さだった。

 
大昔にお店をやってた頃にテニスをしていた。

二泊三日のテニス合宿などもしたりして楽しんでいたが、終日コートで相手を替えるだけで連続プレーをしていたのにテニスエルボーなどになることはなかった。
でも今は、変な時に痛みを感じるが何故ってところです。

 

 

おかしいよね、年のせいにはしたくないのだが、確実に年を取って色々なところにガタがくるのは仕方ないことだ。
こんなことを自分のストレスとはしたくないが、何かシャキッとしない自分がいる。
もう少しで67歳、よく生かさせてもらってると思う。

 

 

 

今朝のニュースで「ゴダイゴ」育てた音楽プロデューサー山田廣作さん急死 76歳とあった。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6239086
まだ76歳だったのというのが第一印象だったけど、彼と一緒に「ゴダイゴ」をマネジメントしていたのが、元ABCプロダクション社長のO氏。

僕は山田さんのことは良く知らないが、赤坂の事務所にお邪魔してもO氏しかいなかった。

 

このABCプロダクションを4分割した時の一つが、「ライジングプロダクション」である。

当時、荻野目洋子しかいなかったけど年間200コンサートをやって借金を一気に返済できたのが平哲夫社長。
平さんは、「ゴダイゴ」のマネージャーのようなことをしていて、その頃から多方面に借りがあったようなことは聞いている。

 

 

 

どうでもいいことを書いたが、腰が痛いひじが痛いと気にしていたこともこの山田さんの記事をみてどうでもよくなった。
痛い痛いと実感できていることに感謝します。

 

 

 
今日も生かしてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

じゃあ、またね。

芸能界

ノートパソコンとデスクトップの2馬力にやっとできた。

こんばんは、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。
ずぼらな性格が災いして引越し以来、何も手につけなかったけどゴールデンウィークも最終日ということで、やっとノートパソコンとデスクトップパソコンがWi-Fiで使えるようにしたから2馬力にできた。

 

3月19日に引っ越してきた時は、まだ冬の防寒着を着ていたけど今はTシャツ1枚でも外に出なければ平気ですね。

エアコンも使うまででもないのですが、昨夜は一匹の蚊に悩まされたのが悔しくて、断舎離第一弾として部屋の模様替えから始める。

 

新山下のホームセンターで買ったままのカラーボックスを組み立てるところからやってみる。

奥の壁際に置いていた段ボール箱8つをまず中をチェックしながら何が入っているかの確認から、反対側の壁側に移動させる。

これを順次片付けなければ、断舎離とはならないのだ。

着るものだけは先にプラスチックの衣装箱2つで片付けたけど。

 

 

そして、一旦空いたスペースに組み立てたカラーボックスとノートPCを置いてたカラーボックスを2つ並べてデスク代わりに使う。

 

デスクトップの筐体は一番端っこのスペースに置き、デスク上は左からプリンター、その上にモニター、キーボード、マウス、ノートPC、マウスの順にしてみた。

余分なものは置かないが、ペン立てと娘の写真は立てた。

息子の写真がないけど、年賀状として送ってくれた奥さんとの晴れ姿の写真を立てるつもり。

 

 

部屋の壁が白いクロスで貼ってるけど、画鋲しか使えない。

時計の掛けられないような不便さは、次の引越しのためのモチベーションとするために、ノートPCの背景画像をその予定先にしてる。

 

山下公園が目の前に見えるマンションだけど、公園や海が見える部屋は中々空かないようだ。
分譲と賃貸があるので、分譲も視野に入れての経済力を身につけるしかない。

中華街に近いし、今建築中の「ドンキホーテ」も近いからこその「お気に入り」に入れている。

 

 

 

今の部屋は、伊勢佐木町商店街や元町商店街、横浜橋商店街の何処に行くにも同じくらいの距離なので、その日の気分で行けるのが最大のメリットなんですね。

 

年取ってくると車を運転することはないし、バイクや自転車さえも億劫になるから、徒歩で行けるスーパーマーケットなどが重宝となる。

今は、徒歩4~5分石川町駅そばの食品館「あおば」がある。

 

が、その手前の「マイバスケット」や「ファミリーマート」「ローソン」の方が利用する機会が多い。

 

ちょっと出かける時は、伊勢佐木町の「ドンキホーテ」か横浜橋商店街に行くようにもしている、散歩代わりに。

毎日、パソコンでコツコツ作業をしていると運動不足は否めないからの散歩ですね。

 

 

 

今日は、ナンだかご機嫌なのでデスクトップの方にスピーカーまで使えるようにしたので、今は「ちあきなおみ」を聞きながら(笑)

いいよね、「ちあきなおみ」さんは、本当に歌が上手いというか半端じゃない歌唱力が魅力だよね。

昔に芸能界の社長に彼女のマネジメントをやってよと言ったことがあったけど、「食うに困っていないから無理だよ」って話だった。

 

 

 

世間では、ゴールデンウィークだったようだけど僕には全然関係の無い数日間だったね。

でも、一応は2馬力になったので明日からはツールを2台のパソコンでガンガン回していくつもり。

 

もう1台ノートPCがある、間違ってWindows10にあげたら使えなくなったけど、これを何とか蘇生すれば3馬力になるんだけどね。

 

デスクトップももう1台ある、捨てようかとしてたやつだけどこっちを使えるようにして3馬力にするのもありかな。

 

 

 

何しろ気分一新して、新しいビジネスに挑戦する。

 

おなかがすいてきたので、これから買出しに行きます。

今日は、伊勢佐木町の「ドンキホーテ」に行きたくなった(笑)。

百均で息子用の写真立ても買ってこなきゃね。

 

 

 

 

 

じゃあ、またね。

 

 

 

 

 

 

会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまでした。

横浜の思い出, 芸能界

また一人、元芸能界のボス、大事な人がお亡くなりになっていた。

こんにちは、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。

また一人、元芸能界のボス、大事な人がお亡くなりになっていた。と書きましたがショックが隠せません。

 

たった今しがた、電話したところ携帯電話が使われていませんと。

ご自宅に掛け直すと暫くして奥様が出られた。

 

久しぶりのご無沙汰を詫びながら、社長はご在宅ですか?と。

「残念ですが、去年の10月に亡くなりました。」

『えっ、お亡くなりになったんですか?』

「はい、………。」

『やはり心臓のバイパス手術の影響ですか?』

「そうです、………」

とても話せる状態じゃ無い。

『奥様も御体にお気をつけいただき、お元気で……。』

というのが精一杯の僕でした。

 

 

この社長は最近、芸能界のキーマンとして昔気質の興行のドンと新興勢力の興行のドンとの橋渡し役などをされていた。

 

一時期は一世を風靡した「ゴダイゴ」をマネジメントしていたし、歌舞伎界の嫁として昨年渦中の人となった「三田寛子」の社長でもあった。

三田寛子と中村橋の助の結婚後に金銭トラブルで十数年前に芸能界から身を引いていた。

 

が、ここ数年はバーニングの周防社長の好意で大物演歌歌手の一日興行権を貰い、昔かたぎのドンに預けて生活の糧としていたものだ。

 

 

僕が昔、旅行代理店をやっていた頃に可愛がっていただき昼間の暇な時間帯で色々と楽しい時間を過ごさせていただいた。

ここには書けない話は山ほどあるが、書いたら僕の身が危ない。

 

 

 

もう時効だから大丈夫だと思うのは、大田プロダクションからの「ビートたけし」の独立劇だ。

当時の漫才ブームと「元気のでるテレビ」がたけしを有頂天にさせてた頃の話です。

 

タレントの勝手な独立は、ご法度なのが今も変わらぬ芸能界。

幾ら売れてるといってもプロダクションという背景があればこその存在がタレントの立場でもある。

これは、プロダクション側から見れば親を裏切るような行為としてみる傾向があるのだ。

 

そこに不条理と戦う「右翼」というマイク片手に街宣活動を行う人たちの出番があるという。

当時のたけしがこの標的となり、立ち回り先のテレビ局や自宅などに街宣を掛けられて、困った挙句に相談したのが元気が出るテレビ総務部長の「松方弘樹」、その東映人脈であった。

が、なかなか矛が納まらない。

 

そこで登場したのが亡くなった社長と当時ライジングプロダクション社長の「平哲夫」さん。

平さんは、ゴダイゴのマネージャーのようなことをしていた社長の弟分でもあり、ライジングはもともと社長と会長がやってた赤坂にあったプロダクションを4分割した時にできたところでもある。

この二人の尽力で、何とか落としどころが決まりたけしは独立できた。

その縁かどうか分からないが、「オフィス北野」は未だにライジング系となっている。

 

 

平さんが脱税容疑で危なかった時に、亡くなった社長が一生懸命かばって罪一等軽くなるような発言も検察に対してしていた。

この恩返しのようなつもりか、「退職金は平らが持ってくる」とよく聞かされたものだが、ご霊前や香典が来たかは与り知らない。

退職金が来れば、福だるまがやりたい事業には投資するよとも言ってくれていたので幾つかの事業企画も出したりしていた。

 

 

 

それと東映人脈を繋いだきっかけは、「疵」というVシネマを成功させたのが亡くなった社長。

部下の専務をプロデューサーにして、資金集めを担当、結構な資金を集めて制作に回す、その前に自分のお小遣いをよっこらしょ。

何とも面白い構図で映画を作ったものだ。

それもA4の紙に2~3枚で書かれただけの企画書でやったのだから。

数億のお金が簡単に動くという現実をまざまざと見せつけられた。

二次使用、三次使用の利益の追求などのフォーマットもこの時に生まれたと記憶している。

最近の邦画は制作委員会方式が主流であるが、やってることは同じ。

 

 

 

周防社長とは、「木倉」さんのところで同じ釜の飯をくった仲だとは聞かされていたので、平さんが面倒みてくれないのをカバーしてくれているようでした。

 

 

僕のショックが大きいのは、彼の人脈が一切使えなくなってしまったことだ。

ある時、大物演歌歌手の興行権のことや移籍問題で昔気質の興行のドンのところに繋いでもらったりしたし、海外でのアーティスト養成学校の事業企画を芸能界のドンに繋いでもらったりもしたが。

 

 

 

何かを仕掛けようとする時には、安心して相談できる人だったから失ったものは大きすぎる。

 

 

本当に「言葉も無い」とは、この様なことを言うのだろう。

 

 

 

 

父親が亡くなった時以上の大ショックだ。

 

 

 

心からのご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

福だるま

思い出, 芸能界