また一人、元芸能界のボス、大事な人がお亡くなりになっていた。

また一人、元芸能界のボス、大事な人がお亡くなりになっていた。

こんにちは、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。

また一人、元芸能界のボス、大事な人がお亡くなりになっていた。と書きましたがショックが隠せません。

 

たった今しがた、電話したところ携帯電話が使われていませんと。

ご自宅に掛け直すと暫くして奥様が出られた。

 

久しぶりのご無沙汰を詫びながら、社長はご在宅ですか?と。

「残念ですが、去年の10月に亡くなりました。」

『えっ、お亡くなりになったんですか?』

「はい、………。」

『やはり心臓のバイパス手術の影響ですか?』

「そうです、………」

とても話せる状態じゃ無い。

『奥様も御体にお気をつけいただき、お元気で……。』

というのが精一杯の僕でした。

 

 

この社長は最近、芸能界のキーマンとして昔気質の興行のドンと新興勢力の興行のドンとの橋渡し役などをされていた。

 

一時期は一世を風靡した「ゴダイゴ」をマネジメントしていたし、歌舞伎界の嫁として昨年渦中の人となった「三田寛子」の社長でもあった。

三田寛子と中村橋の助の結婚後に金銭トラブルで十数年前に芸能界から身を引いていた。

 

が、ここ数年はバーニングの周防社長の好意で大物演歌歌手の一日興行権を貰い、昔かたぎのドンに預けて生活の糧としていたものだ。

 

 

僕が昔、旅行代理店をやっていた頃に可愛がっていただき昼間の暇な時間帯で色々と楽しい時間を過ごさせていただいた。

ここには書けない話は山ほどあるが、書いたら僕の身が危ない。

 

 

 

もう時効だから大丈夫だと思うのは、大田プロダクションからの「ビートたけし」の独立劇だ。

当時の漫才ブームと「元気のでるテレビ」がたけしを有頂天にさせてた頃の話です。

 

タレントの勝手な独立は、ご法度なのが今も変わらぬ芸能界。

幾ら売れてるといってもプロダクションという背景があればこその存在がタレントの立場でもある。

これは、プロダクション側から見れば親を裏切るような行為としてみる傾向があるのだ。

 

そこに不条理と戦う「右翼」というマイク片手に街宣活動を行う人たちの出番があるという。

当時のたけしがこの標的となり、立ち回り先のテレビ局や自宅などに街宣を掛けられて、困った挙句に相談したのが元気が出るテレビ総務部長の「松方弘樹」、その東映人脈であった。

が、なかなか矛が納まらない。

 

そこで登場したのが亡くなった社長と当時ライジングプロダクション社長の「平哲夫」さん。

平さんは、ゴダイゴのマネージャーのようなことをしていた社長の弟分でもあり、ライジングはもともと社長と会長がやってた赤坂にあったプロダクションを4分割した時にできたところでもある。

この二人の尽力で、何とか落としどころが決まりたけしは独立できた。

その縁かどうか分からないが、「オフィス北野」は未だにライジング系となっている。

 

 

平さんが脱税容疑で危なかった時に、亡くなった社長が一生懸命かばって罪一等軽くなるような発言も検察に対してしていた。

この恩返しのようなつもりか、「退職金は平らが持ってくる」とよく聞かされたものだが、ご霊前や香典が来たかは与り知らない。

退職金が来れば、福だるまがやりたい事業には投資するよとも言ってくれていたので幾つかの事業企画も出したりしていた。

 

 

 

それと東映人脈を繋いだきっかけは、「疵」というVシネマを成功させたのが亡くなった社長。

部下の専務をプロデューサーにして、資金集めを担当、結構な資金を集めて制作に回す、その前に自分のお小遣いをよっこらしょ。

何とも面白い構図で映画を作ったものだ。

それもA4の紙に2~3枚で書かれただけの企画書でやったのだから。

数億のお金が簡単に動くという現実をまざまざと見せつけられた。

二次使用、三次使用の利益の追求などのフォーマットもこの時に生まれたと記憶している。

最近の邦画は制作委員会方式が主流であるが、やってることは同じ。

 

 

 

周防社長とは、「木倉」さんのところで同じ釜の飯をくった仲だとは聞かされていたので、平さんが面倒みてくれないのをカバーしてくれているようでした。

 

 

僕のショックが大きいのは、彼の人脈が一切使えなくなってしまったことだ。

ある時、大物演歌歌手の興行権のことや移籍問題で昔気質の興行のドンのところに繋いでもらったりしたし、海外でのアーティスト養成学校の事業企画を芸能界のドンに繋いでもらったりもしたが。

 

 

 

何かを仕掛けようとする時には、安心して相談できる人だったから失ったものは大きすぎる。

 

 

本当に「言葉も無い」とは、この様なことを言うのだろう。

 

 

 

 

父親が亡くなった時以上の大ショックだ。

 

 

 

心からのご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

福だるま

アフィリエイトセミナーのために新宿に出かける。

アフィリエイトセミナーのために新宿に出かける。

おはようございます、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。

今日は、アフィリエイトセミナーのために新宿に出かけます。

参加費無料に釣られて15時からの2時間を消費する。

セミナー参加特典とかが幾つかあったような気がするから釣られたのだがどんな特典だか忘れてしまっている。

馬鹿でかい動員数も半端じゃない「有料イベント」の前座のようだったはずだが、僕にとってはどうでも良いことだ。

今日のセミナー講師は、ネット業界の仕掛け人というふれこみだが
以前のセミナーでは何の得られるものは無かった。

今回も同様だと思うが、横浜でのコツコツ作業の息抜きに新宿に出るのも乙なもののような気がする。

 

 

でも、交通費だけは確実に目減りするので他の用事も作った。

僕が、横浜を捨てて家族と別居した12年前にホームレスの状態から救ってくれた数少ない恩人の一人のところへ行く。

 

昨日電話でアポを入れたが、午後一なら居るようだった。

本音は昼ごはんでもご馳走になろうかとの思惑だったが、

「今、どん底」

の一言で、全てを察知しろということだ。

 

 

彼との付き合いは、バブル期の最後の方で僕がリトグラフの販売組織を立ち上げた時からだから相当に長い。

仲間だと思っていた友人に裏切られたり、詐欺にあったりと同じようなことを経験させられたものだ。

彼の当時の会社の副社長にも僕はやられた、数百万円。

 

それ以降、公私共に仲良くさせて貰っている6つ年上の先輩である。

最近は元気がなくなったようなことを1年半前くらいに言っていたが、昨日の短い会話では「歩いてる」らしい。

何かと健康問題が話題になる機会が多いのだが、女性との健康は段々と無理が利かなくなっているようだ。

人事ながら20歳以上も若い奥さんを持つと気苦労も大変だろう。

大橋巨泉じゃないけど、若い頃に別の奥さんと子供を作り、二度目の奥さんとは子供がいない。

昔は憧れた人生二度結婚説を謳歌していたように思えたのだが、いざ現実は理想とは程遠いようだ。

 

僕が、一時期「念力気功」にのめり込み2年くらいで相当なパワーを手に入れたことを知っている唯一の生き証人でもある。

なので偶に会うと「元気」を欲しがる時もある。

今日は少しばかりの「気」を手土産として置いてくる。

 

 

リスクマネジメントのコンサルタントとして会社を経営して10数年にはなるが、僕のような厚かましい居候にソファをベッド代わりに使わせたことはないはずだ。

お陰で雨露だけはしのげるホームレスではあったのだが。

近隣の銭湯マップは未だに僕の脳裏に刻まれている。

趣味は銭湯とか言い始めたのもこの頃からだろう。

 

 

以後、日本橋兜町、日本橋茅場町、日本橋馬喰町、調布市緑ヶ丘から草加市高砂。

そして、今の横浜市中区石川町と住所変更はしてきているが何処も住めば都だった。

 

 

茅場町から馬喰町に移転する時は、中央区と社会福祉協議会のお世話になってのホームレス第2期。

避難場所として港区南麻布3丁目の「昭和の学生アパート」風呂なしで2ヶ月過ごした。

直ぐ近くに友人の六本木のママが住んでいたが、恥ずかしくて近寄ることさえできなかった。

この時の社会福祉協議会に面倒をみていただいたお金は細々とだが返済し続けなければいけない性質のものだ、がご免なさいである。

 

 

その日本橋馬喰町時代に東北大震災が起きた。

ここを出た時が、ホームレス第3期。

上野・御徒町界隈のカプセルホテルが唯一のスイートホーム。

 

 

第4期は無い。

覚悟して、警備会社の寮に入ったから。

ここでのことは書くことが一杯あるので別の機会に譲る。

 

 

 

人生66年、あとちょっとで67年も生かして貰っているが僕のようなホームレス体験者はなかなかいないだろうね。

 

でも、これから劇的な明るい未来が待っていると信じている僕の妙な「自信」が凄いよね。

 

 

本当に馬鹿なのか、単なるポジティブ野郎なのか分からない。

何れ時が証明してくれるはずだ。

 

 

てなことで久しぶりの新宿に行ってきます。

 

 

朝早くに書くのは珍しいが、案外イイかも知れない。

じゃあ、またね。

 

 

 

 

会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまでした。

ああ上野駅、伊沢八郎が歌っていたが僕には別の上野がある。

ああ上野駅、伊沢八郎が歌っていたが僕には別の上野がある。

こんばんは、会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまです。

 

今日は南千住の現場に行き雨のため中止、会社のミスを確認させて1日の保証を得る。

昨日から雨休みは予想されていたが、会社の不手際というか単純な留守電を聞かなかったと、初歩的なミスでしかない。

今日の現場、五人だが皆中止を願っている、当たり前だが作業員さんの車が1台も来ていないのに仕事ができるはずはない。

案の定というか会社とクライアント側の連絡ミス、くどいようだがあってはならないことなんだよね。

でも、やっちゃった仕方ないけど会社がペナルティを負うのが当然です。

我々は、仕事もしないで1日分が保証されるという皆が望んでいた結果に大喜びで、現地解散。

 

僕の魔がさして途中下車したのが上野駅。

久しぶりに朝っぱらから飲みたくなった、というか祝杯をあげたくなったのが上野。

丸井の横を右折してすぐ左にある「タキオカ」、24時間営業している立ち飲み屋🍺🏮。

入店時刻8時54分、退店は9時32分のショートタイム。

アサヒスーパードライの瓶ビール2本820円。

煮込み160円
豚バラ塩焼き2本230円
野菜天160円

超明朗会計、チップ無し。

合計金額1370円の幸せを感じるキャッシュオンデリバリーの最先端システム。

 

ほろ酔いの自分に「ああ、上野駅」が大好きだった山形県余目出身の先輩T・Tさんが重なってくる。

癌の宣告を受けて、誰一人お見舞いも受付なくてそのまま旅立った。

 

水商売の先輩であり、教材屋では社長の運転手兼秘書をやってた。

渋谷や新宿の大箱でマネージャーをやっていたので交友関係が凄かったし、何かと気を使ってくれながら足も引っ張ってくれた人。

 

 

僕には「家庭教師派遣業」のM&A物件をやらせといて無駄な出資をさせられたり、「大箱店」や「温泉ホテル」などを経営していた歌舞伎町伝説のオヤジの右腕にならないかと斡旋してくれたりもした。

寒さ厳しい1月から5月まで玉川学園にあった要塞のような事務所で朝の7時から18時まで書生か営繕係かというようなことをして、やっと認めてくれた。

六本木で旅行代理店をやってた時代のことだが、この人の空いてた西新宿7丁目のビルへと安い家賃で移転もした。

旅行代理店を会社ごと引き受けるという話から始まったけど、最終的には僕だけを狙っていた。

 

 

水商売で成功した人だったから、人を見る眼が半端じゃない。

社員は、新聞募集で幾らでもくるから篩に掛けられるとの割り切りで幹部社員を採用をしていた。

そして、少しばかり様子を見てから各温泉ホテル経営の小会社の役員に登用する。

これぐらいドライにやらないとまともなことでは成功できないことをまざまざと無言のうちに教えてくれた。

 

 

僕のどこを買ってくれようとしたのか、「企画力」と「統率力」。

次から次とホテル案件が届けられる、玉石混交の危ない案件も含まれてのものだ。

その見極め、新たに仕込む場合にも企画力が絶対に必要だ。

また、何十人とか何百人とかの従業員を統率する力も当然だ。

幾つかの事業計画書も作成した。

 

一度、旅行代理店の社員の総意でオヤジのもとに行くことを断った。

が、夏になり右腕というか左腕として幾つかのホテルの社長をやらせていた人に辞められてしまった。

突然の呼び出しだったが、ベンツ560SECの鍵と「ポケベル」を持って行けと言われる。

そして、1ヶ月間の時間で考えをまとめてYesかNoの返事をくれと。

教材屋の社長とも喧嘩別れしたあとだったので、微妙に心が揺れた。

けど、やっぱり人の下ではやれない性格の僕。

 

「鶏口牛後」を教えてくれたのが実の親父。

 

どんなに苦しい戦いが待っているかもしれないが、厳しい道を選択することにした。

 

 

 

その後も、T・Tさんとは何かにつけ良く飲んだものだ。

女性がいるお店は勿論のことだが、一番のお気に入りは渋谷しょんべん横丁の「鳥重」さんだった。

名物おかみの目を誤魔化して規定された以上のお酒の注文をして見たり、焼き鳥も大串なのでそんなに頼めないのだが無理言ったり。

常連としての我儘を言えたお店も店仕舞してしまった。

残念なことだけど、人の命の儚さと同様にお店にも儚さが残る。

 

蛇足だが、僕を必要としてくれた人の会社は230億円の負債を抱えて倒産と日経新聞にも大々的に書かれた。

水戸黄門じゃないけど、大きな会社にするのも成功するのも助さん角さんのような、右腕と左腕が必要だったようだ。

 

 

僕は悪運が強いのだろう、巻き込まれずに今も生きている。

もう少し、何かやるべきことを残しているようなので初めて上京した時のような新鮮な自分に戻って原点回帰します。

 

やっぱり、「ああ、上野駅」は井沢八郎さんよりT・Tさんだ。

楽しかった思い出をありがとう、ご冥福をお祈りします。

 

 

じゃあ、またね。

 

 

会員制ビジネス構築コンサルタント@福だるまでした。